編集業務のブラック度について

新年が明けましたが,エンドレスの編集業務からはなかなか解放されません。
先日,さまざまな仕事のブラック度ランキングなるものを見つけ,見ていますと,編集プロダクションが上位にランキングされていました。
けっして喜ばしいことではありませんが,妙に納得してしまいました。
とは言え,最上位にはほど遠いので,世の中には,もっともっと理不尽で,やりきれない仕事も多数存在しているのだと実感いたしました。
さて,納期に追われる編集プロダクションは,肉体的な面だけではなく,精神的にも常に追い込まれており,気が休まるときがありません。
また,版元あるいはクライアントは,たいてい4,5社〜10社くらい抱えておられるところが多く,当然,忙しい時期はどことも重なりますから,スケジュールの調整が難しいのです。
しかも,納期が前倒しになることもしばしばです。
これは,編集プロダクションに限らずでしょうから,それだけでブラック度が高いわけではないと思いますが,やはり日程的なきつさは,かなり重要な要素になっていると思います。
加えて,高度な知的作業をしている割には,収入面で恵まれないことも多いのも,大きな要素となっているかもしれません。
ただ,こんなことを書くと,なり手がいなくなると困りまので,少し擁護しておきますと,ものをつくる喜びは持てます。また,仕事の成果が形として残ります。
それと,働きがそのまま報酬に反映されるため,働き甲斐があるということでしょうか。
安定収入が得やすいという利点もあります。
しかし,やはり好きでないと続かない仕事だと思います。
ですから,お金を得ようというだけで,始めると,あまりうまくいかないように思います。
好きであれば長時間労働も,けっして苦にならないと思います。(どの仕事も同じですが)
自らの適性に合っていると思われる方にとっては,けっして悪い仕事ではないと思います。
私の感覚では,平均より少しきつい仕事かな,というのが本音でしょうか。
せっかくなので,今年は,少しずつ,良い面と悪い面をお話しするようにします。
年初としては,これくらいにしておきたいと思います。
ご質問があれば,いつでも受け付けます。
それでは,今年一年,よろしくお願いいたします。

時事問題について

時事問題については,以前にも書きましたが,入試が近付いてまいりましたので,改めて書いてみます。
特に,中学受験生の中には,入試直前まで新聞を見ながら,時事問題に備えている人もいるかと思います。しかし,入試問題は,入試日よりもかなり以前に作成されているため,入試直前で大きなできごとが起こったとしても,入試には出題されることはありません。
入試だけを見れば,無駄な努力にように思われます。
しかし,時事に関心を持つことは,受験生に限らず大切なことであり,たとえ試験には出題されなくても,世界で起きている重大なできごとは,知っておくほうが良いと思います。
幸い,いまはインターネットでさまざまな情報を手軽に入手できるようになっています。
是非とも,時事に関心をもってほしいものです。
近畿地方では,兵庫県の学校を中心に社会が入試で課されない学校も多くあります。
入試科目にないから勉強しない,というのはどうでしょうか。
理系の生徒がほしいから,社会で点を稼ぐような生徒はいらないということかもしれませんが,地理も歴史も公民も常識的な知識さえもなければ,将来困ることにならないでしょうか。
確かに,知識のまる暗記は意味がないかもしれませんが,それでもかつて覚えた知識というのは,どこかで役に立つと思います。
入試でも,時事的な問題を多く出題してほしいと思っています。
それは,とりもなおさず,いま現在の社会を生きていることを理解してほしいからです。
みなさんは,いかが思われますか。

教材作成のサイクルについて

早いものでブログを書き始めて一年が経とうとしています。
この間にのべ1万人の方たちに閲覧いただき,感謝いたしております。
途中,更新をさぼってしまった時期がありましたが,それでも閲覧していただいている方が毎日おられたことを嬉しく思うと同時に,心苦しく思います。
さて,教材のうち,年間実施のテストに関しては,12月ころで年度が切り替わります。
12月から1月ごろにかけて,新しい年度の作成に取り掛かっていきます。
つまり,テスト実施日から3〜5か月程度早い段階からスタートしていきます。
したがって,テストの作成者は,入試が行われるよりも前に,出題予想をしながら,原稿の作成を行うことになります。
もちろん,実際の入試を見て,それから出題の傾向を変えたり,レベルを変えたりはします。
ただ,作成のスタートは,だんだん早まる傾向にあります。
作業そのものは,余裕をもってできるようになりますが,原稿そのものは書きづらくなります。
来年度に向けて,私たちの仲間になってみたいと思われる方は,是非,ご連絡ください。
(リンク先のHPから連絡ができます。)
経験も大事ですが,何よりも良いものを作りたいという熱い思いが大切だと思っております。
ともに,より良い教材をつくりましょう。

イラつく言葉について

イラつく言葉というのは,人によって異なります。
以前に金田一秀穂先生の著作を読んだとき,コンビニなどでよく使われる「〜から」というのが,どうも許せないというような内容のことが書かれていました。
「1000円ちょうどからお預かりいたします」という,あのコンビニ言葉です。
これは,ぎりぎり許せたとしても,「936円ちょうどからお預かりいたします」とされると,言語学者としてはどうとらえれば良いかわからなくなるというような内容だったように思います。
確かに,いつごろからか,こうした言葉づかいがされるようになりました。
同様に,「〜のほう」というのも,よく意味がわかりません。
「ご注文のほうになります」という言い方です。
たぶん,本来の使い方をしない言い回しが,耳障りで,イラつく言葉なのでしょう。
金田一先生は,敬語というのは,本来は相手が気持ちよく聞くことのできる言葉なので,別段,正しい敬語の表現でなくても,丁寧語であっても,相手に気持ちよく伝われば,それで良いのではないか,と主張されていました。
実際,バカ丁寧な敬語表現をすることで,かえって不快な思いをさせてしまっては何もなりません。
みんなが笑えるような失言ならいいですが,不快な気分にさせる失言であってはならないと思います。
私としては,「〜じゃないですか」という言葉が,どうも耳障りに聞こえます。
「私って学生じゃないですか。なので,○○駅で降りることが多いじゃないですか」というような言葉を聞くと,「それがどうした。さっさと結論を言え」という気になります。(もちろん,表情には出しませんが)
こうした,相手に同意を求めているのか,単なる癖なのか,自分で納得しながら話しているのか,どうも定かでない言い方は,どう受け止めていいのかわかりません。
言葉の癖で,「逆に言うたら…」とか「極端な話,…」とか頻繁に話す人がいて,はじめは逆の内容や極端な内容のことを話すのかなと身構えていると,逆の話にも極端な話にもならない,というのを経験します。
でも,こうした言葉は,言葉の癖だとわかれば,それほど気にはならなくなります。
しかし,こんなことを書いている私自身の言葉づかいも,他人からすればイラつく言葉づかいをしているかもしれません。
どの言葉にイラつくのか,まったくわからないからです。
みなさんは,いかが思われますか。

映画の字幕の誤訳について

ときどき,映画の字幕の誤訳についてネット上で話題になることがあります。
たいていは,T氏に対する個人的な批判が多いのですが,仕事量が多ければ誤訳も多くなるのは当たり前のことなのでしょう。
もともと,原語を忠実に訳すということではなく,映画を楽しむためのツールとして字幕があるのですから,原語と多少意味が異なっても良いのではないかと思うのですが,最近は,英語を中心にかなり正確に聞き取れる人が増えたせいか,プロとして仕事をしているのに,こんな訳さえ満足にできないのか,と憤っておられるのでしょう。
気持ちは,わかりますが,同じく言語を扱う仕事をしている,広い意味での同業者としては,いろいろと考えさせられる面があります。
英語の和訳にしろ,古文の口誤訳にしろ,わかりやすく伝えようとすれば意訳も必要ですし,原文に書かれていないことも補わなければなりません。しかし,スペースの制約がありますから,どうしても,少ない字数で,うまく伝わるようにしなければならず,そこが苦労するところです。
とは言え,かつて読んだ「銀幕屋」の本では,実に苦労しながらも,工夫をして訳されていることがわかり,ものすごく感動したことを覚えています。
その意味では,やはり若く,感性のすぐれた人が,仕事を多くこなすようにならなければならないなあ,と思います。
映画の訳では,誤訳ではないのですが,いくつか気になっているものがあります。
かなり以前の映画ですが,ポセイドン・アドベンチャーという映画の中で「シャローム」という言葉を「さようなら」と訳されていましたが,これで,言葉の持つ本来の意味が伝わっているでしょうか。そうかと言って。「神のご加護を」としてしまうのも,ふさわしくないかもしれず,もっと適切な訳はないだろうかと,ときどき思い出しては考えています。
その民族に伝わる言葉というのは,他の民族の人にはわからない,独特の意味あいがあると思います。
「なんでやねん」という言葉を英語に訳すとすれば,やはり状況によって言葉を変えなければならないと思います。あるいは,わざわざ「好きやねん」という言葉で告白した言葉を,ただ,I love you. としておいて良いのでしょうか。
教材の世界と異なり,映画は生きた生活場面を描いていますから,本当に難しいと思います。
数千のセリフの中のいくつかが,原語に忠実でなくても,かまわないのではないでしょうか。
本当にその映画が好きなら,字幕に頼らず,原語で味わうべきだと思います。
ただ,それを十分理解した上で,考え抜いた訳ではなく,単なるミスであるものは,やはりプロとして,してはいけないことだと思います。
私自身,それは深く心に刻んでおきたいことだと思っております。

入試問題と模擬テストの違いについて

入試問題と模擬テストは,似ているようでまったく異なります。
入試問題は,入学者を決めるためのテストで,模擬テストは,入試問題で点が取れるようにするためのテストであり,また,現時点の実力を評価するためのテストです。
ですから,まず作成の方針が異なっています。
入試問題では,出題の意味や意図がよくわからない問題もたまに出題されていますが,入学者の識別という目的のためには,必要な問題なのだと思います。
これと同様の問題を出題すれば,模擬テストでは「良くない問題」「出題すべきではない問題」とされます。
しかし,最近は,この両者の垣根が低くなってきているように思います。
模擬テストは,入試の「模擬」なのだから,ひたすら入試問題にあわせて作ればよい,と考える人が多くなったように感じます。
出題形式を合わせるのは良いのですが,出題内容は異なっていて当然だと思います。
また,入試が実施されるよりも,前の時期に実施される模擬テストは,こういう理解をしてほしい,こういうまとめができるようになってほしい,という思いで作るものだと思っております。
ですから,7月や8月に実施されるようなテストで,入試とほぼ同様のレベルで出題されているテスト問題を見ると,本当にこれでいいのだろうか,という気がします。
入試問題では,ばらばらに知識を問うというのもありだと思いますが,これを模擬テストでしてはいけないと思っております。
現実には,そうした模擬テストの問題も多くありますが,私はそうした問題は作らないようにしています。
理解しているかどうかの結果を問う入試問題と,理解度を見ると同時に,正しく理解し,より深い内容の理解の手助けをする模擬テストとは,この点が大きく異なっているように思います。
とは言っても,最近は,入試問題の「解説」や「解き方」をその学校自身で作成されている学校もあります。翌年に受験してもらう受験生へのサービスなのだと思いますが,こうなると,もはや模擬テストとの違いはないと言っていいのかもしれません。
外部への作成の委託が増え,模擬テストの作成者が入試も作成するようになってきましたから,両者の区別をすること自体,意味をなさなくなってきているかもしれません。
これが良いのかどうか,私には判断できませんが,私は,両者の違いを認識した上で,これからも作成しようと思います。

合格必勝法について

第一志望校に合格するための方法はありますか,という質問を何度か受けたことがあります。
指導していたときは,よく質問されたように思います。
それに対する回答としては,「根性」あるいは「気力」と答えて,ごまかしていたように思います。
半分は冗談で,半分は本気だったと思います。
つまるところ,必勝法というのはなくて,最後にものをいうのは「何が何でも合格するんだ」という気力ではないか,という気がします。
自分自身の受験体験からも,自信に満ちたオーラが出ていた受験生というのは,やはり合格していたように思います。
今は,倍率が下がっていますので,同じようには言えないのかもしれませんが,それでも,自信をもって臨むことが大事で,自信をもつためには,それだけの学習量をこなすしかないと思っております。
私は,試験会場に使い古した問題集をボストンバッグいっぱい詰めてもっていきました。
「これだけやったのだから受かるに違いない」という,お守りのような気持ちでもっていったのです。
そのためか,ずいぶんと落ち着いて問題を解くことができました。
人によって,この「お守り」は異なるだろうと思います。
ですから,特にこれとお勧めしたいものがあるわけではありません。
ただ,言えるのは,試験が近づいてきても,生活を変える必要はないだろうということと,たとえ根拠がなくても自信を持ち続けることが大事だということです。
「試験に運はない」と私は思っています。
「たまたま苦手なとこばかり出題されて,運が悪かった」という言い訳をする人がいますが,
苦手なところを克服しておかなかったほうが悪いのであって,それを「運が悪い」というのは,間違っていると思います。
まあ,あるとすれば「運が良かった」というほうかもしれません。
ろくに勉強していなかったのに,たまたま前日に勉強したのと同じような問題が出て,解答を覚えていたために高得点が取れた,ということでしょうか。
こうしたことは,たまに聞きます。
でも,私は,そうして「運よく」合格したと思っている人のほとんどは,別の問題が出題されていたとしても,やはり受かっていたと思います。
多少点数に違いは出るかもしれませんが,たった1題だけでは,合否を左右するようにはならないからです。
もちろん,一度類題を解いたことのある問題を見つけると,すごく気持ちが落ち着くことはわかります。
ですから,そのために日々勉強するのではないでしょうか。
必勝法ばかり考えているのであれば,その時間を利用して,過去に受けた模試を解き直してみて,そして,間違えた問題の解説をよく読むことが,合格への近道だと思います。
少しでも力を伸ばしてもらおうと,問題作成者は,工夫をこらしてて解説を書きます。解説を読めば,解き方がわかり,同じような問題が出題されれば解けるように書いているのです。ですから,よく解説を読んでほしいと思います。
「模試1回は,問題集1冊分に相当する」と言われますが,それは解き直しをして,解説をよく読み,なぜ間違えたのかを考えことによって,はじめてそう言えるのだと思います。
模試のやり直しが,合否の決め手になるかもしれません。
11月は,力を伸ばす絶好の時期です。
けっして無駄な努力をすることなく,自分を信じて頑張ってください。
問題作成者は,受験生の力が伸びるような工夫をして,問題を作成しているのです。
そして,陰ながら応援をしています。