映画の字幕の誤訳について

ときどき,映画の字幕の誤訳についてネット上で話題になることがあります。
たいていは,T氏に対する個人的な批判が多いのですが,仕事量が多ければ誤訳も多くなるのは当たり前のことなのでしょう。
もともと,原語を忠実に訳すということではなく,映画を楽しむためのツールとして字幕があるのですから,原語と多少意味が異なっても良いのではないかと思うのですが,最近は,英語を中心にかなり正確に聞き取れる人が増えたせいか,プロとして仕事をしているのに,こんな訳さえ満足にできないのか,と憤っておられるのでしょう。
気持ちは,わかりますが,同じく言語を扱う仕事をしている,広い意味での同業者としては,いろいろと考えさせられる面があります。
英語の和訳にしろ,古文の口誤訳にしろ,わかりやすく伝えようとすれば意訳も必要ですし,原文に書かれていないことも補わなければなりません。しかし,スペースの制約がありますから,どうしても,少ない字数で,うまく伝わるようにしなければならず,そこが苦労するところです。
とは言え,かつて読んだ「銀幕屋」の本では,実に苦労しながらも,工夫をして訳されていることがわかり,ものすごく感動したことを覚えています。
その意味では,やはり若く,感性のすぐれた人が,仕事を多くこなすようにならなければならないなあ,と思います。
映画の訳では,誤訳ではないのですが,いくつか気になっているものがあります。
かなり以前の映画ですが,ポセイドン・アドベンチャーという映画の中で「シャローム」という言葉を「さようなら」と訳されていましたが,これで,言葉の持つ本来の意味が伝わっているでしょうか。そうかと言って。「神のご加護を」としてしまうのも,ふさわしくないかもしれず,もっと適切な訳はないだろうかと,ときどき思い出しては考えています。
その民族に伝わる言葉というのは,他の民族の人にはわからない,独特の意味あいがあると思います。
「なんでやねん」という言葉を英語に訳すとすれば,やはり状況によって言葉を変えなければならないと思います。あるいは,わざわざ「好きやねん」という言葉で告白した言葉を,ただ,I love you. としておいて良いのでしょうか。
教材の世界と異なり,映画は生きた生活場面を描いていますから,本当に難しいと思います。
数千のセリフの中のいくつかが,原語に忠実でなくても,かまわないのではないでしょうか。
本当にその映画が好きなら,字幕に頼らず,原語で味わうべきだと思います。
ただ,それを十分理解した上で,考え抜いた訳ではなく,単なるミスであるものは,やはりプロとして,してはいけないことだと思います。
私自身,それは深く心に刻んでおきたいことだと思っております。