教師の国歌斉唱不起立について

卒業式のシーズンになると,国歌を斉唱しない,不起立の教師のことが報じられます。
そして,自らの主義主張を唱えるのではなく,ルールを守ることの大切さを子どもに教えるべきだ,という意見が多く掲載されます。
確かに,日本は法治国家であり,ルールを守らなければ社会は成り立ちません。
教師と言えども例外ではないはずです。
しかし,問題となるのは,「君が代」の意味であり,第二次世界大戦の暗い歴史につながるからなのでしょう。
けれども,あくまで反対を貫き,不起立を貫くのは大阪以外ではほとんど見られない,ということも聞きます。
教育教材をつくる立場から考えますと,たとえば,「憲法第9条」にからんだ出題については,出題にクレームがつきやすいですし,国語の出題も,どれだけ心を打つ作品であっても,マイナスイメージのある文章は避けたがる傾向にあります。
模擬テストで出題する文章に,そこまでナーバスになることがよくわかりません。
一部のものだけを守ろうとする,避けようとする発想はすべてにおいてあります。
それが表面化したものが,卒業式などでの態度につながっているのでしょう。

しかし,無菌状態を続けていると,わずかな菌でも感染するようになると言います。
手をつないでゴールする運動会。グランドがぬかっていたから実力を発揮できなかったという子どものために,翌日再度競走をさせることが,本当に子どものためになるのでしょうか。
実社会では,再度やり直しなんて,してもらえるはずがありません。

社会で決められたことであっても,自らの意思に反することは守らなくても良い,と示すことが,多感な子どもに良い影響をあたえると思われているのでしょうか。

私は,真に子どもの将来のことを考えるのであるなら,自らの主義・主張を貫く以上に,子どもに範を示すことができる教師を,格好の良い教師だと思います。
実力を発揮できないで流す悔し涙は,その子を強くすると思います。
手を差し伸べることだけが愛情ではないはずです。
「いやあ,あのときは悔しい思いをしながら起立していたんだよ」と,20年後,酒を酌み交わしながら,生徒と大人の会話のできる教師を,とても格好の良い教師だと思い,「恩師」として尊敬すると思います。

みなさんはいかが思われますか。