「教育とは」について

先日,「塀の中の中学校」を題材としたドラマが放映されました。
刑務所内に設置された公立の中学校で受刑者が学ぶ姿を描いた,実話をもとにしたドラマです。
受刑者と教師の心の交流などもあり,ドラマとしても面白かったですが,それよりも,このドラマは,数多くの問題を提起していたと思います。
まず一番目は,公立の中学校での義務教育ですから,税金で賄われているということに対する存在の是非です。
教師自身が,「受刑者に税金を使ってまで教育する必要があるのか疑問に思う」というようなセリフを語っていましたが,まさしく,この問題点をついています。
受刑者一人あたり,月20万円程度の税金が使われているという話はよく聞きます。それにプラスして教育を行うというのは,あまりにも手厚すぎないか,という思いなのでしょう。
確かに,費用だけの面から見れば,その通りなのかもしれません。ただ,この刑務所内の中学校を卒業した人の再犯率が極めて低くなっていることを思えば,一定の成果はあるのでしょう。あとは,感情の問題だと思います。
次に,教育の意義について考えさせられます。
すでに高齢に達した受刑者は,教育を受けたことが,この先の人生で役に立つのか,という問いに対して,「何の役にも立ちません。それでも中学校を卒業したい」という思いを語ります。
「義務教育」というのを,「仕方なしに教育を受けさせられている」という感覚で受けている人も多いのではないでしょうか。私自身も,学校生活で楽しいことも多かったですが,苦い思い出もたくさんあり,ましてや勉強そのものはけっして面白くはなかったと思っています。
ただ,年数が経つにつれて,苦い思い出も懐かしく思うようになっています。そして,この期間があったからこそ,高校生活があり,大学生活があったのだと思えるのです。
生涯学習という言葉があるように,学校で学ぶことだけが勉強ではないと思います。それだけに,ただ純粋に勉強がしたいという思いを語られると,心の底から共感します。
私がいつも思うのは,「もっと勉強すれば良かった」ということだからです。
さて,三つ目には,勉強についていけない生徒が「いじめをする嫌な人間になってしまうから,もう退学させてほしい」と叫んだことです。
小学生や中学生と違い,十分に心身ともに成長した大人であるがゆえに,自分の行動の愚かしさがよくわかるのです。それだけに劣等感をもつことの苦しみに耐えられないのでしょう。
これも,人間の本質をついていると思います。
まだまだ,ありますが,特に印象に残った内容は,この三つです。
重大な犯罪が起こると,被害者よりも加害者の人権を守る,という批判が飛び交います。
私自身,やはり加害者側の思いに立つことはできませんし,被害者のことを思うと,怒りが沸き起こります。ただ,何事も両面を見なければならないとは思っています。
今回のドラマで,反対側から見ることも必要だという気がいたしました。加害者には加害者の事情があるのだと。
みなさんは,いかが思われますか。