好かれる答案と嫌われる答案について

答案の採点で思うことがあります。
それは、「好かれる答案」と「嫌われる答案」があるということです。
もちろん、多分に主観的な要素はあるので、絶対とは言えないのですが、総じて「好かれる答案」というのは共通していることがらがあるように思います。
それは、まず丁寧に書かれていること。これは、けっしてきれいな字でなくても、なるべく見やすくなるように書いてあるようなものを指します。
次に、ともかくも答えが埋めてある答案です。
ふつうに考えれば、答えが埋まっていない答案のほうが採点がラクそうに思えるのですが、実はそうではありません。業者が行う模擬テストなどではどうかわかりませんが、こと入学試験に限れば、採点者からすれば、答えが埋まっているほうが採点しやすいのです。
採点は、単なる点数をつけるということだけではなく、その生徒を自分が教えたいかどうかということを判断する場でもあると思います。そのときに、どれくらいの力があるかを見るためには少しでも情報があったほうが助かります。
仮に、まったく得点に結びつかなくても、何か書いてあると、その生徒がどのような考え方や見方ができるかがわかります。そして、それによって、良い理解をしていると思えば、何とかして得点を与えたいと思うのが人情でしょう。仮にその問題が×であっても、他の問題でなるべく得点を与えたいと思うこともあるかもしれません。
つまりは、これが「好かれる答案」だと思います。
反対に、やる気のなさそうな答案というのは、自信のあるところだけを埋めて、あとは白紙の答案です。よしんば、埋めてある部分についてはほぼ正解していたとしても、こうした答案は「好かれない答案」だと思います。
私なら、何とかアラを探して減点してやろうと思います。
答案は、単に理解度を見るためのものだけではなく、性格や意欲度などを見るためのものでもあるように思います。
もちろん、こうしたことを意識して採点されておられる方は、ほとんどいないと思いますが、無意識にこうした心理作用が働いているのではないでしょうか。
記述題が多く課されている学校ほど、どこかでこうしたことを期待しておられるかもしれません。
ともかくも答えを埋め、一所懸命さが伝わってくるような答案は、答えを見ていても楽しいものです。
これは、試験に限らずスポーツなどでも言えるかもしれませんね。
頑張ってるなあ、と思える姿は感動をあたえます。
間違いだらけの答えでも、いつも必死になって書いている人は、いつかきっと伸びていくと思います。
みなさんは、いかが思われますか。