国語科の聞き取りテストについて

国語科の聞き取りテストは,公立高校の入試を中心に,一部では私立高校でも実施されています。
そして,年々入試で課されるところが多くなり,また,内容も高度化しつつあります。
当初,どうも出題の目的がつかみにくかったのですが,確かに考えてみると,集中して話を聞く力というのは必要なのだと思うようになりました。
今では,話を聞いて,それに対する感想を200字以内で書く,というような自由作文も課されているところも多くなりました。
この聞き取りテストの原稿を書くたびに思うことがあります。
それは,ふだんから人の話を聞いていないような子どもが増えたのではないかということです。
電車に乗っていても,話がかみ合っていない会話をよく耳にしますし,当の本人たちは,まったく気にしていないように思います。
たとえば,こんな調子です。
「きのうさ,変なおじさんが近所にいたよね」
「というか,このあとどこに行く?」
「おまわりさんも来ていたらしいね」
「ふーん。牛丼もあきたしね。駅からちょっと歩く?」
こういった会話が延々と続き,互いに一定の結論が出るのだろうかと,こちらが気になってしまいます。
こんなとき,聞き取りテストの必要性を感じるのです。
大学の授業でも,私語が多くて困っていると聞きます。
コンサートでも,自分の興味のないアーティストだと,平気で隣の人と話をする人がいます。
今や,葬儀場での厳粛なお別れのときでさえ,私語が飛び交うとまで言われています。
人の話は聞きたくないけれど,自分は話したいということなのでしょうか。
英語のリスニングと違って,国語の聞き取りテストは,一度だけしか読まれないのがふつうです。
一度聞き逃してしまうと,もう二度と聞くことはできません。
私は,聞き取りテストの原稿を書くときには,最初を聞き逃しても,そのあとで内容をカバーできるような配慮をしていますが,これも,本当は必要ないと思っています。
テストが始まって,最初の一文をきちんと聞いていなければ,それは聞いていないほうが悪いと思うからです。
ただ,実際には,やはり導入部を設けるようにしていますが…。
しかし,どのテストともそうだとは思わないでください。最初から聞き漏らすことのないように,集中力を高める訓練をしておいてください。
そのためには,ふだんの会話でも,よく相手の言うことを聞くようにすることが大切なのではないでしょうか。
何もテストのためではなく,コミュニケーションは人間の最も大切な働きの一つだと思うからです。
聞き取りテストのコツを聞く人がいますが,コツなどはないと私は思っています。
ひたすら真剣に聞くことしかありません。
ただ,全部を聞き取ることはできませんし,全部を記憶することなどはできませんから,聞きながら重要だと思うことを重点的に聞き取る訓練は必要かもしれません。
しかし,これは人間に自然に備わっている能力だと思います。
先日,散髪をしていたときのことです。
隣の席でマスターと話をしていた初老の人は,補聴器を使うようになって不便なことは,補聴器は雑音も拾ってしまうから,雑踏の中では話を聞き取ることができないことだと話していました。
補聴器を使わないときには,人間の耳は,自分の関心のある音だけを拾おうとする働きがあるので,雑踏の中でも聞き取ることができたのだということでした。
確かにそうかもしれません。
どんなうるさい騒音の中でも,自分の名前を呼ばれると,その声に思わず反応します。
人間の力というのは,機械ではできないことができるのですね。
そうであるならば,かみ合わないような会話をしていないで,会話そのものをもっと楽しんだほうが良いかもしれません。
みなさんは,いかが思われますか。