一般教養について

大学卒業者の就職内定率が、あの氷河期を下回ったらしい。
きわめて深刻な事態です。
ところで、採用されなかった人の中には、「専門分野はそこそこできたのに、どうも一般教養があまり答えられなかった」という声を聞くことがあります。
企業や公務員の採用試験で課される、この「一般教養」というのは、実はきわめて曖昧な分類となっています。
公務員試験の中には、一般教養としながらも公民分野に含まれるものが主であったり、また、ある企業では一般常識を問うていたりしています。
そうしたことも含めて「一般教養」なのかもしれません。ですから、「一般教養」ができないということは、社会の「常識」を知らないということを意味しているように思います。その意味では、採用されなかったのも、ある程度うなずくことができます。
では、この「一般教養」を身につけるにはどうしたら良いのでしょう。
多くの人々は、新聞を読みなさい、とおっしゃいます。もっともな意見です。
国内外の情勢をつかみ、政治や経済、文化やスポーツ、芸能に至るまで、すべてのことがらをとらえるには、新聞はきわめて有効なように思います。
実際、私が出版社の編集部に採用されるときの採用テストで、「今日の新聞の一面記事について思うところを書きなさい」という小論文が課されたことを覚えています。もう30年近くも前のことですが…。
そう言えば、シナリオライターの早坂堯氏は、人と会う前に最低3時間は新聞を読まれるそうです。朝早い約束のとき、その人をどれだけ待たせたとしても、3時間は新聞を読んでからでないとお会いしないそうです。
ふつうそこまでする方はおられないと思いますが、社会の動きをつかんでいないと思われることへの恐怖心を強くお持ちなのだということがよくわかります。ある意味、見習うべき姿勢だと思います。
ただ、新聞は万能ではありません。もっともっと幅広い知識も必要でしょう。
それから、もし先ほどのように、記事に対する意見を問われたときに、自分の意見を明確に述べることができるようにしておく必要もあると思います。
そのためには、現在問題となっていることがらについて、地理や歴史なども含めて捉えておかなくてはならないでしょう。
中東問題を語るのに、イランやイスラエルの位置や歴史的背景、またパレスチナなどの言葉など、最低限知っておかなくてはならないことがあります。
そうした努力をしなければ「一般常識」は身につかないように思います。
「よし。一週間で一般教養を身につけよう」と書店に行き、「一週間で身につく一般教養」
の本を探しても、まず見つからないでしょう。
仮にその種の本があったとしても、私は、そんなことは実際には不可能だと思っています。一般教養というのは、一朝一夕で身につくものではありません。
ただ、もし現在の内閣総理大臣の名前や与党名も知らないという方の場合は、この種の本がもしあるなら、すぐにでも買われたほうが良いかもしれません。
少なくとも、「一般教養の身につけ方」は、一週間でつかめるかもしれないからです。
まずは、社会に目を向けること。そのためには、新聞だけではなく、テレビやインターネット、雑誌、人々の噂話に至るまで、全身をダンボの耳にして、情報を収得しようとする貪欲な姿勢をもつことではないでしょうか。すべてはここから始まるように思います。
「一般教養」は、講座などで人から学ぶものではなく、自分で探し、つかみ、そして考えて身につけるものだと思います。
みなさんは、いかが思われますか。