作者の思いや登場人物の心情について

韻文での作者の思いや小説での登場人物の心情は,入試問題でも模擬テストでも頻繁に問われます。
しかし,実際にどう思っているかは誰にもわかりません。本当は,作者にだってわからないものなのです。
以前に,ある詩の中で作者の思いを尋ねたことがありますが,そのとき,その作者の先生から模範解答を送ってほしい,と連絡をいただいたことがあります。
その作者の先生は,「作者の思い」をどうしてもうまくまとめることができない,ということでした。
これは,別段珍しいことではなく,試験問題というのは「出題者の解釈」となっているため,作者であっても「出題者の解釈」が分からない,ということは起こり得るのです。
ただし,模範解答例を示したときに,その作者が納得してもらえる内容になっていなければ,それは単に出題者の解釈ミスだと思います。
特に,詩や短歌などの韻文は,いろいろな解釈が可能ですので,こうしたことは起こりやすいと思います。
小説においても,一作品をまるまる掲載することはほとんどありませんので,一部分だけから考えられる登場人物の心情というのは,どうしても出題者が強引に導いている場合が多く,どうしてこんな心情だと言えるのか疑問に思われることも多いと思います。
入試問題を解いていても,たまに出題者の明らかな解釈ミスだと思われるものがあります。
あるいは,さまざまな受け取り方ができ,一つに絞れないというものもあります。
こうしたことは,本来あってはならないのですが,しかし,読解問題で完全にこれをなくすことも,きわめて困難です。
特に,入試問題の場合は,問題が漏洩することを防ぐために,あまり多くの目に触れないようにしているのも,大きな原因の一つではないでしょうか。その点では,むしろ多数の目でチェックをする模擬テストのほうが起こりにくいと思います。
かつて宮本輝氏は,送られたきた入試問題を解いてみると,作者であるのに半分くらいしか正解できない,と語っておられましたが,宮本輝氏に限らず,ほとんどの作者が同様なのではないでしょうか。
私ごとですが,浅田次郎氏に作品使用許諾を得るために問題をお送りしたとき,丁寧に校正したものを送り返していただいたことがあります。作業の途中で使用許諾を取りますので,どうしても入力ミスなどが残っていることが多いのですが,このときも原文との相違をこと細かに指摘していただきました。
浅田次郎氏本人の校正かどうかは分かりませんが,こうしたことをしていただけるのは,出題者として本当に嬉しく思います。
浅田次郎氏に限らず,ほかにも北村薫氏など,誤字,脱字などを教えてくださる作者の先生方は多くおられます。また,模範解答が納得できない場合にご指摘いただくこともあります。ただ,最近は,協会を通して許諾を得ることが多くなり,個々に許諾を取らないようになりましたので,こうした直接のやり取りは少なくなりました。
その分,自分の解釈が合っているのか直接作者に尋ねることができなくなっています。
そう言えば,入試問題は,実施するまでは作者の目に触れることはありませんので,出題ミスが起こりやすい原因の一つになっているかもしれません。
いずれ,どのような場合に,出題者と作者で見解の齟齬が生まれるかについては詳述したいと思います。
これは,出題者にとって永遠のテーマなのです。