素材文(出典)のタブーについて

素材文(出典)では,いじめや宗教,障害者に関するものなどはタブーとされています。
しかし,実際の入試では,いじめを扱った文章も出題されていますし,西洋と日本との対比をする中でキリスト教や仏教について触れている文章も多く出題されています。また,障害者が登場する作品であっても,前向きに生きているような作品ー例えば「五体不満足」などは,多くの学校で出題されました。
こう考えると,もはやタブーは存在しないかのごとくなのですが,それでもタブーは守られていると思います。
陰湿でネガティブないじめ,一般論ではなく特定の宗教に特化したもの,障害があるがゆえに人生を悲観的にとらえている人物が登場する作品などは,素材文(出典)として出題されていません。
昨日,福音館という児童向けの本を専門に出版している会社が,たばこ好きのおじいさんが登場する作品がクレームを受けたため,出版停止の処置をしたと報じられていましたが,これは喫煙に対し賛同するかのように受け取れるというのがクレームの理由でした。
入試問題や模擬テストの場合でも,話の本筋と関係なくタブーとされる内容が書かれていたら,やはりそれは適切な素材文とは言えないのではないかと思います。
また,読後に不愉快な気分にさせるようなものもだめでしょう。
こう考えると,明るく,さやわかな向上心のある作品が無難ということになるのでしょうが,最近は児童文学においても,かなりシリアスなテーマの作品が多くなってきて,むしろ大人向けなのではないかと思うこともあります。
そうした流れの中で,70年代ころの明るい青春ドラマやジャパン・アズ・ナンバーワンのような論調の文章などは,ほとんと見られなくなり,素材文の選定に苦労します。
結局,一定のラインで線引きしながらも,タブーとされる領域に踏み込まざるを得ないのです。
また,そうした作品ほど,感銘を受けるものが多いのです。
重松清氏の作品は,よく出題されますが,彼の作品にはいじめを扱っているものや境遇や身体的特徴,しぐさなどで差別されるような人物がときには登場します。それでも,出題されています。
タブーなどに関係なく,やはり多くの人々に読んでもらいたい,また,受験生が感銘を受けるだろうと思うからこそ出題されるのだと思います。
私も,重松氏の作品は好んで出題しています。
一時期よく出題されました宮本輝氏の作品も,明るく,さわやかな作品とは言えないものが多かったのですが,やはり重みのある文章が好まれたのだと思います。
時代的な背景もありますので,やはりタブーの線引きはつくづく難しいと思います。
いっそタブーをなくし,読後に不愉快な気分にならないものは何でもOKとなれば,すっきりとしているのに,と思いますが,これは配慮を欠いたものだとクレームの嵐になりそうです。
けっして他意はないのに,なぜそうネガティブに,悲観的に捉えるのだろうと思ってしまいます。
みなさんは,いかが思われますか。