お香と香水について

香りに対する考えは,きわめて民族性が現れているように思います。
日本では,平安時代の作品にも,香のことがよく書かれております。
この頃は,花と言えば桜,夕べと言えば春,というように価値観の統一が図られつつあったような時代ですが,女性の香りは,人によって異なる,きわめて自己主張の強かったものではないかと思っています。
これは,西洋においても同じなのでしょう。
宮殿にお風呂のなかった時代,匂いを誤魔化すために香水は発達したと聞きますが,日本でもそれは同様なのでしょう。
ただ,日本では香水ではなく,匂いをしみこませる香であったことが興味深いです。
そう言えば,「匂へる人」というのは,別段,変な匂いがする,臭い人のことではなく,きわめて美人である人を指していたことからすると,やはり良い香りがするというのは,それだけで受け入れられるような,そんな時代だったのでしょう。
京都の清水さん近くの産年坂や二年坂のあたりにも,香を楽しめる店がいくつもあります。
香水とは,また違った趣があり,日本人の香りに対する感性に触れることができるように思います。
昔は,ちょっとした家でも,その家なりの香りや匂いがあったようで,旧家に行くと,何とも言えないような香の匂いがしていますね。
こうした香りが消えつつあることは残念です。
話は変わりますが,産年坂や二年坂のあたりに数十年ほど昔に,怪しい骨董品屋があり,弥生土器などを売っていましたが,もし本物なら無造作においておけるような品ではないものがいくつもあり,弥生土器は「本物です」とわざわざ記されていましたが,出土したところなどが書かれていなくて,骨董品を見る目がまったくなくても胡散臭い雰囲気が漂っていました。
ただ,値段が妙に考え込ませるような,微妙なところをついており,3万円や5万円で弥生土器は買えないだろうとは思いつつも,こんな店なので,もしかすると本物が何気なくおいてあるということもあるかもしれないぞ,と思わせるのです。
このように,産年坂や二年坂のあたりは,香の匂いだけではなく,いろいろと楽しめる店が今よりももっとあったように思います。
最近は,若者や外国人受けをねらっているのか,どうもついていけない店が出店するようになりました。
香の文化や伝統を残すためにも,旧来の店は是非とも頑張ってほしいところです。
平日の昼間に行くと,外国人だらけで,日本人かと思えば中国人や韓国人で,日本の文化の先行きを本気で心配してしまいます。
そう言えば,「ドラえまん」という字が書かれたTシャツを着たラテン系の人を見かけましたが,明らかにバッタものとわかるドラえもんの絵が入っており,買うときに誰か忠告してあげる人がいなかったのかと思いましたが,所詮Tシャツなら,それほど高価でもなく,本人が満足しているならいいか,と思いなおしました。
こうした人にこそ,日本の香に触れてほしいものです。
みなさんは,いかが思われますか。