クリスマス会と英語について

子どもの頃に,英会話の教室でクリスマス会をしました。
小学生だった私は,キリスト教の何となく厳かな雰囲気が好きで,このクリスマス会から英語にかなりの興味をもつようになりました。
今から思うと,たいしたこともしていませんでしたが,みんなで劇を演じることになり,私は「羊飼いその3」の役で,せりふは一つか二つしかなかったと思います。
それでも,せりふを必死に覚え,せっかくなら,なるべくきれいな発音で言いたいと思って頑張ったものです。
私は,大人と子どもの感覚というのは,まったく別だと思っています。
こんな他愛もないようなことでも,夢中になれるし,緊張もするし,うまくいったときには,本当に嬉しいと思うのです。
ですから,英語で劇ができることに,たまらない優越感を覚えて,その快感が英語をマスターしたいというモチベーションにつながることは,本当によくあることだと思います。
私の英語学習の原点ともいうべき,このクリスマス会を,毎年,クリスマスシーズンになると思い出します。
そして,日本国中で,同じような子どもが,恐らくは数え切れないくらいいると思い,微笑ましく思っています。
その頃は,高度経済成長期の末で,この頃の日本については,かつて「天井桟敷」という劇団が劇中で語ったせりふが頭をよぎります。正確には覚えていないのですが,おおよそ次のような内容だったと思います。
「一匹のトカゲをコカ・コーラのビンの中で飼い,餌をあたえ育てていて,トカゲもビンから外に出たり入ったりして,楽しそうにしていた。それを見ていた自分も楽しくなり,トカゲが成長していくのをじっと見守っていた。しかし,ある時,気がついたらトカゲは体が大きくなり過ぎて,ビンから出れなくなってしまった。今の日本は,このトカゲそのものだ。コカ・コーラアメリカの中で,大きくなり過ぎたがゆえに,身動きできなくなっている。日本は,これから先どうなるのだろう。」
現在の日本はどうでしょう。
もう,コカ・コーラのビンから外に出ていますか。
あるいは,さらに大きくなり,苦しくて身悶えていますか。
あるいは,ビンを中から壊して,自由を獲得していますか。
英語を話す意義というのは,子ども自身はまったく捉えていないでしょう。
アメリカとの関係など,何ら頭の中にないでしょう。
私は,子どもたちとどう接すればいいのか,どのように興味づけをしていけばいいのか,悩みます。
アメリカに限らず,世界の中の日本を見つめる上で言語教育というのは欠かすことができないものだと思います。 


ただ,そんな難しいことなどは考えず,やはり子どもは,純粋にクリスマスを楽しんでほしいと願います。
そして,その楽しい経験から,英語に興味をもってほしいと思っています。
それが,どの子にとっても,やはりプラスになると思うからです。
みなさんは,いかが思われますか。