クレーマー対策について(4)

クレームのおこらないような問題が良いのかどうかを考えてみたいと思います。
クレームがおこらないというのは,完成度が高いということなので,もちろんそのことは喜ばしいことであります。
しかし,こと出題に関しては,無難な,平凡な,当たり障りのない問題ばかりになっていることも十分に考えられます。
つまり,従来に出題され尽くした問題ばかりを出題すれば,クレームはおこりにくいものなのです。
では,それが本当に良いのか,ということになると疑問です。
暗記度を見るのであれば,それも有効かもしれません。
しかし,理解度や思考力を見ようとするのであれば,従来に出題されたことのないような問題にしなければならないと思います。
それも,できるだけ類題のない出題にするべきなのです。
もちろん,すべてがそうした出題でなくても良いと思いますし,理解の定着度を見る,あるいは知識を問うという設問も必要ですので,従来に出題されたような問題を出題することも必要です。
ただ,そういう場合にも,別の角度から問うたり,別の資料を使ったり,いろいろな工夫はしたほうが良いと思います。
けれども,クレームがおこらないことばかりに神経を使って作成することはないと思います。
むしろ,クレームからいろいろなことに気付かされることも多いと思って,クレームを恐れず,出題したい問題を出題すれば良いのではないでしょうか。
話は変わりますが,先日,奈良の正倉院展を見に行きましたが,そこで興味深かったのは,写経師や校正師という職業があり,しかも写し間違えたり,校正ミスをしたりした場合には,給料が減らされることが書かれていたことです。
一文字いくら,一行抜かせばいくら,というように具体的に減給が示されていることで,これは私にとって驚きでした。
人間にミスはつきものですが,奈良時代からこんなにもシステマチックにしていたことに強い衝撃を覚えました。
だからと言って,ミスを開き直る必要はないと思うのですが,仮にクレームがあったとしても,それでも全体の評価が下がることのない,いわゆる良問が多く出題されている問題であれば,それで良いのではないでしょうか。
試験問題は芸術ではありません。したがって自慰的な,自己満足のような出題には何ら価値がありません。
しかし,陳腐な,凡庸な出題に終始するのは作成者のプライドが許さないでしょう。
その折り合いが難しいところです。
ですから,私はこれからも,つぶやき続けることになるのでしょう。