模擬テストと入試問題について

模擬テストの問題は、よく覚えているのに、入試問題で覚えている問題はありません。
模擬テストでかなり迷った問題や間違えてしまった問題については、数十年経った今でも覚えているものがいくつもあります。これは、本番の入試で間違えてはいけないと必死になって覚えようとしたからだと思います。
入学試験は、文字通り、入学するための試験ですから、入学してしまえば必要のないものとなります。したがって、間違えた問題を記憶する必要がありません。そして、正直に、すべて忘れ去っています。
国語の素材も、記憶に残っているのは、模擬テストで出題されたものばかりです。
さて、自らが出題者となった今はどうか、と言えば、実は入試問題の内容を鮮明に記憶しています。出題分析を行い、今後どのような出題が予想されるかを考えるため、必要に迫られるからです。
特に、新傾向の出題は、極力記憶に留めようとします。
どのような文章が使われたか、どんな資料を使って出題しているか、教科書記述外の問題はどのようなものが出題されているか、など。
私は、恐らく「読書量」としては、一般の方よりきわめて多いと思いますが、本を読み味わうということは、何年もしていないと思います。
出題しようとする箇所を見つけるのに1冊をだいたい20〜30分で読みます。
読むというより探すと言ったほうがよいと思います。
特に、論説文は全体のテーマに沿って、各論でどのような論を展開させているかをつかみながら、最も出題しやすい箇所を探します。
この作業にかかる時間がだいたい20〜30分です。
ただ、読み味わうことはできませんが、書かれている内容はつかめます。
やっかいなのが小説です。300ページくらいの本であっても、やはり20〜30分で選びます。これも、全体の展開を考えながら、どのような内容が出題にふさわしいかを考えますが、最後まで見ても、出題できる箇所が見つからないことが多く、作業量はかなりの量に及びます。論説文と違って、2000字程度では、展開らしい展開をしていないことが多く、また、受験生が読んで、心に感銘を受けるような、しかも明るく向上心のあるような、そんな都合の良い作品などは、そうそう見つかるものではありません。そうかと言って、入試でよく出題されている文章は避けたいと思いますので、本当に、苦しみながら読むことになります。
その意味では、「読書」は、私の趣味とは言えないのかもしれません。
私は、模擬テストというのは、もしかすると、入試問題よりも人生に大きな影響をあたえているかもしれないと思うことがあります。
それは、自分が関わっているからというだけではなく、人々の記憶の片隅に残っているからだと思います。恐らく、勉強に苦しんだ嫌な思い出とともに、でも、そのほろ苦さが人生のスパイスになっているような、そんな気がしてなりません。
みなさんは、いかが思われますか。