市橋容疑者と教育について

私が高校生のころ「裸の十九才」という映画がありました。連続殺人犯の永山則夫をモデルとした映画でした。この映画を見て,かなりの衝撃を受けたのを覚えています。「無知と貧困」が犯罪の引き金となったということですが,高度経済成長期には,まだまだ貧困層も多く,今のように高校が全入のような時代でもなかったと思います。
さて,市橋容疑者は,永山則夫とは異なり,恵まれた環境で育っています。むしろ恵まれすぎたからこそ,コンプレックスを抱いたのかもしれません。けっして「貧困」が原因ではないと思います。
しかし,「無知」によるコンプレックスという点では共通しているかもしれません。
コンプレックスを抱いている者は,何らかの心情の発露を求めています。
それが,芸術や文化など,良い面に出れば良いのですが,拳銃を手にし,ナイフを手にしたときに,たいした理由もなく,過酷な行動に出てしまうと,こうした残虐な犯罪が生まれてしまうのかもしれません。
理由のあとづけは,さまざまなされますが,実際のところはわかりません。恐らく,犯罪者本人にもわからないのではないでしょうか。
19歳で犯罪をおかし,48歳の死刑執行までの独居房生活を,死刑と隣り合わせて生きた永山則夫は,このとき,はじめて自分を深く見つめることができたのでしょう。
手記がベストセラーとなり,小説が文学賞を受賞したことから,別の人生も彼にはあったのではないかと思ってしまいます。
キリスト教では「無知は死の影」と言われますが,「無知」とは何でしょう。そして,「教育」とは何でしょう。即答は難しいでしょう。でも,これだけは言えます。
知=知識ではないと。
みなさんは,いかが思われますか。